シニアペットと暮らして

奇跡の猫

龍馬ちゃん・12歳
公募

著者/金子喜美子

遡ること十二年前の冬、猫風邪をこじらせ目を傷めた子猫とその子を庇うようにピタリと身を寄り添えた黒毛の二匹の子猫が、我が家の小さな庭に身を潜めているのを見つけました。

食べることをやっと思い出した頃のやせ細った龍馬(同居猫の守と大好きなお布団で)

大慌てで二匹を保護し、急ぎ病院へ走りました。重症であった黒猫を風と名付け、勇敢に妹を庇う黒猫を龍馬と名付けました。風は大事な片目を失うことになってしまいましたが、命に別状はなく、龍馬も大事なく退院することが出来ました。
病院から帰ると片目を失ったとは思えぬほど元気で、二匹が組んず解れつしながら遊び惚ける程になりました。
それから十年、風はそれまで元気に走り回っていたにもかかわらず唐突にパタリと倒れ、そのまま帰らぬ子になってしまったのです。あまりにも突然の出来事に風の名を呼び、泣き明かしていたとき、龍馬が「まだ僕がいるよ」と膝の上にそっと乗ってきて涙を掬い取るように慰めてくれたのです。「もう泣かない。龍馬はどこにも行かないで」と抱きしめたのでした。

元気な頃の龍馬

それからさらに二年が経った、今年の四月でした、龍馬がご飯も食べず、何かに耐えるようにジッと蹲るようになったのです。その様子に再度の危機を感じ、かかりつけの病院へ急ぎました。「先生に診てもらえれば、すぐお家に帰れるからね」と龍馬に言い聞かせ、実際、本気でそのように考えていたのです。
診察後、先生の説明を聞き終え、「では、お家で補液をすれば大丈夫ですね」と言って龍馬を連れて帰ろうとする私に、医者は遮るように、「とんでもない、暫くお預かりして手を施さねば、この数値では龍馬君の命は危ないのですよ」。龍馬は腎不全でした。ケージの中で蹲る龍馬を半泣きで先生に預け、「ごめんね、ごめん。すぐ迎えにくるから」と、虚ろな足取りで私一人がその日帰路についたのでした。
龍馬を病院にお迎えに行く日になりました。

左5k超えの龍馬と右同居猫の康ちゃん

入院の経過説明を受けたところ、それは龍馬の状態の悪さを思い知らされることになりました。病院では手を尽くしあらゆる治療を施してくれていました。帰れるギリギリの数値です。5k以上はあった体重も3kをゆうに切っており龍馬にとって良い材料は何一つ見つけられません。最悪の事態が近づいていることを察しました。龍馬をグッと引き寄せ『しっかりしろ、私!』と自分に喝をいれました。
家に着くや龍馬は部屋の片隅に隠れてしまいます。そこに居ると決めたようでした。
私は龍馬の好きなことは何だ?と思いを巡らせました。ありました、あったのです。龍馬は私のお布団が大好きでした。
その晩、それまでの私の寝床を寝室から階下の龍馬が隠れている部屋に移し、布団を敷き始めました。するとスルスルっと部屋の片隅から龍馬がすかさず出て来たと思うと、アッという間に敷布の上に小さくなって蹲り早く寝ようと顔を挙げます。やりました。当たりです。
お薬も補液もお布団の上であげるようにしました。しかし腎臓病食はもちろん、一般食である缶詰もカリカリでさえも一切受け付けず、全く食べようとしませんでした。食べられなかったのです。

片目を失くした風が龍馬を追いかけ元気に遊んでいます。

病院に連れて行っても体重は落ちるばかり、血液検査をしても数値を計ることさえできないエラーとなってしまいます。しかし、こうした絶食が続く中でも龍馬の眼は炯々とまだまだ輝いており、それだけが唯一安心の材料であり、私の心の支えでした。
ある日、何気なく覗いた先に、ヨロヨロする痩せこけた龍馬のお尻が目に入りました。「ん?」よく見ると、龍馬が別の猫のために用意してある一般食のご飯を食べている姿でした。龍馬はほんの少しだけそのご飯を口にしてまた部屋の片隅に戻っていきます。これには心底驚きました。手を口元に当て大声を押し殺したほどです。龍馬が食べた!ほんの少しでも食べることが出来た!龍馬は少しずつ、ご飯を食べることを思い出してくれたようです。
病院の体重計の数値が3kを示しました。医者が思わず、「奇跡の猫だ」と、そして、「あなたの言った、『私は、龍馬の薬になる』その薬が効いたのかもしれませんね」私は泣き笑いでした。御尽力いただいた先生方は奇跡のドクターです。
龍馬も腎臓病を克服したわけでは決してありません。腎臓病は猫にとって不治の病です。しかし、私には見えます。龍馬の背後に両眼をぱっちりと開けた可愛い風が、龍馬に恩返しをするかのようにせっせと龍馬の背を押している姿が。まだまだ予断は許しません。が、希望の光が暗い暗いトンネルの先の先に小さくポッと灯ったような気がします。これからも風共々龍馬に寄り添い、最期の時まで──。

風の保護直後、片目の治療中