シニアペットと暮らして

タンポポのようなレオ

レオちゃん・当時11歳
公募

著者/和田 佳美

レオはお日様の光をいっぱい集めたタンポポのような存在だった。
レオは2008年9月知人宅から我が家に迎え入れました。高齢だった母犬はレオが最後の出産になるらしい。「大切にしてほしい」そう言われた。レオはミニチュアシュナウザーとマルチーズのハーフで毛のカットの仕方でどちらにも似た表情を見せた。幼い頃、レオはいたずらっ子でよく両親から叱られた。その度に私の所へ匿ってもらいに来ました。。「私が守ってやるからな」。この言葉が口癖になっていた。レオは家族以外にはなつくことがなく臆病ゆえにいろんな人に吠えては毛嫌いされた。その分、家族想いのレオは私が泣くと体をピタッと寄り添わせる。「どうしたの?僕と遊ぼうよ!」ぱぁっと開いた花びらのような笑みで元気をくれた。
純粋な子で泣き真似にも引っ掛かるレオを笑った。

7才くらいのレオ。
夏には網戸を破られては張り直していた。やんちゃ絶頂期。

レオは病気をしたことがなかった。ご飯はモリモリ食べるし、たくさん散歩して疲れたら2人一緒の布団で寝すぎるくらい寝た。10才を迎えると硬い物が食べ辛そうになりシニアに入ったんだねと実感はしたものの元気そのものだった。令和になった5月中旬散歩中レオの口の中に赤い腫れ物を見つけて動物病院へ車を走らせた。日を改めて腫瘍を切除し生検に出した。全身麻酔、腫瘍の切除…初めて見る弱ったレオだった。麻酔がきれかけて自由の利かないレオは必死で私の顔に自分の顔を擦りつけてきた。何が起きたのか分からない様子のレオに「守るからな」抱き締めてそう言った。検査結果が悪性メラノーマと聞いて泣いた私にレオは寄り添う。病気が見つかって2ヶ月経っても何事もなく元気に過ごしていたレオに変化が見え始める。たまに足を擦る音が聞こえた。休み休み歩くようになった。2週間に一度の抗がん剤治療、1ヶ月に一度の腫瘍のレーザー治療を行っていたレオは体が怠くて辛かったに違いない。それでも通院の為に仕事を休んで一緒にいられる時間が増えたことを喜んでくれた。「無理するなよ」が闘病期の口癖となる。7月の下旬になるとレオは歩く体力がなくなってしまった。家の中こそ足取りは重いものの歩いたが散歩では終始抱っこをねだるようになった。そこから急激に病状は悪化する。2分程に渡る発作が起きた。足をバタバタさせて呼び掛けも聞えない様子。病院に行ったがケロッとして見せるレオに先生も状態が判断できなかった。原因が分からず私の不在中5回の発作を起こしたレオは帰宅した時、目がよく見えていないのかいろんなところにぶつかりながら「おかえり」を言いにきた。

11才、病気が見つかった後の写真。
海は入るのも見るのも好きだった。
泳ぎは下手で溺れそうになっては助けていた

歩けなくなったレオにペットカートを買い散歩した。まだ行ったことのない遠くまで。風を切ってなびく耳、満足そうな顔。たった一度しか使うことがないなんて思わなかった。4日後の夜、仕事から帰った私にいつもの「おかえり」がなかった。部屋の外を覗くと扉の前にレオは横たわっていた。抱き上げるとキャン鳴いた。初めて「痛い」と鳴いた。今まで気丈に振る舞ってたんだね。一晩中鳴き続けるレオを寝ないで擦った。翌朝なぜ仕事へ向かってしまったのだろう。仕事中携帯電話に連絡が入る。「レオの体力がもたなかった」「みんなで看取った」とつづっていた。急いで帰った時にはもう冷たくなっていたレオの体を撫でた。11年間家族を支えてくれたこの小さな体を堪らなく愛しく思った。レオは前日の夕ご飯までちゃんと食べていたらしい。発作を起こすことなく、深い深い呼吸をしながら息を引き取ったという。 安らかだったと。
「辛い治療によく耐えてくれたね」「偉いかったな」「たくさんの愛をありがとう」
2019年8月5日の朝レオはタンポポの綿毛のようにふわっと空に舞った。

買ったばかりのペットカートで散歩しているときの写真。
この時も海が見たいと言っていたので堤防におろしてあげた。
とても元気そう。輝く瞳がいろんな気持ちを伝えてきた。
この5日後にレオは旅立つ。