シニアペットと暮らして

こころのつかえ

ごもんちゃん・17歳
公募

著者/うらじろ

幼いころから動物を飼ったことがなかった私は、ある日突然犬を飼うことになった。
パートナーが望み、飼育経験があったので半ば強引に同意させられた感じだ。

それが、3年半が過ぎた頃、1匹と1人、彼と私での生活になった。
最初は生活をするため、彼は留守番、私は仕事が当たり前だと思っていた。彼を1匹で長時間待たせることも多かった。

5歳のころ。写真を撮るときはいつもカメラ目線

いつからかは自分でも記憶にない。
でもあるときから彼は私が飼い主で幸せだろうか、寂しい思いをさせているのではないだろうかと思うようになった。
帰宅が遅くなっても散歩には行った。休みの日には車に乗せて広く大きな公園へも連れて行った。ペット同伴が可能なお店にも一緒に行った。
それでもたくさんの家族と一緒に生活したほうが幸せなのではという思いは消えなかった。
特に彼に異変が生じ、一人で動物病院へ連れて行くとき、そのあとのケアなどほかに家族がいれば不安な気持ちを支えあえるのにと思ったりもした。

偶然撮れた。大あくび

彼が12歳になるころには周りにいたお友達のワンちゃんが病気になったり、亡くなる話も耳にするようになった。
私は彼が息を引き取るとき傍にいられるのだろうか、そう思ったときその存在の大きさに気付かされた。

転職をし、通勤をやめ在宅勤務に変えた。
異業種だったので最初はとてつもなく忙しかったが、彼の姿を目の前にしていると気持ちが落ち着いた。
13歳で彼が脾臓の全摘出手術を受けた際も、出来るだけ傍にいられて良かったとも思った。
犬のために自分を犠牲にしたと思ったことはない。元々、本来の柴犬らしい気質を持つ彼は、私が四六時中一緒にいても甘えてくることがほとんどなかった。なので仕事の邪魔になることもほぼなかった。比較的私は自由にしていた。

今まで着たことのない服を防寒用に着せるようになった15歳。

さすがに15歳を過ぎると少し変わり始めた。自分から体をピタッとくっつけて私の横に座るようになった。食事の際には、「僕にもくれませんか?」とでもいうように私の脇腹に頭を押し付けてきた。どんなに深く寝ていても私が食べるチーズトーストの香りには必ず反応した。食欲は健康のバロメーターというが、老犬になるとそれを感じる毎日である。
散歩の際は、歩き方が老犬らしくなって「何歳ですか?」と聞かれることが多くなった。「16歳です。」と答えたある日、「すごい。がんばってますね。きっと毎日幸せだからこんなに長生きなんですね」そう言われた。
その瞬間私の心につかえていたものが解け落ちたように思えた。
帰宅後、私は涙が止まらなかった。彼は幸せだろうか、と思う前に私が彼といて幸せなんだ、彼にもそれは間違いなく伝わっていると思えたからだ。

17歳現在。おぼつかない足取りでも外に出るのは大好き。

それからは彼との毎日を噛みしめるように過ごしている。
前足をクロスさせて伏せをする、後ろ足で耳を掻く、へそ天で寝る、前足でちょいちょいとおねだりをする、尻尾を追いかけてクルクルまわる、どれも今では見られないしぐさだ。 体が思うように動かないからだろう。そんなときはウゥ~ッと小さく唸るか、もの凄い目力で視線を送ってくるところが可愛くてたまらない。
お気に入りは、粗相をしたあと、その場から離れたところに座り小さく唸って私に知らせるところ。粗相をしたって何をしたって良い。生きてこそだから。
子犬のころは食べ物、しつけ、体のケアなどいろいろなことを勉強する。老犬になってからも同じだと思う。食事の内容を見直す、病気について調べる、老犬にあった体のケアを勉強する。ただ、老犬になるとその子にあったケアの方法を探すのが難しいと感じている。今日は上手くいったのに翌日は上手くいかなかった。そんなことが多々ある。それでもマッサージをしたとき、気持ちよさそうに寝息をたててくれた時は嬉しくなる。
若いころはなかなか体を触らせてくれなかったが、今は触り放題だ。今のうちにいっぱい触っておこう。

病院での定期健診後は自宅でゆっくり。「もう動けません。」

1つお願いをするなら、私は彼から1度も顔や口をペロッと舐められたことがない。私が頬を近づけてもスンッとそっぽを向かれる。甘いものを口につけて近寄ってもだめだ。
一度くらいはいいんじゃない?減るもんでもないし。
そんなことを繰り返しながら、今月彼は17歳になった。