シニアペットと暮らして

出会いの10年

ぶうたちゃん・13歳
公募

著者/ゆきのつま

推定3才。我が家に来たばかりのころ。

ぶうたは、多頭飼崩壊からのレスキューで、我が家にやって来ました。推定3才でしたが、外の世界を知らない境遇で育ち、すべてが未知数でした。家では、椅子やベッドにぴょんと飛び乗り、動物病院では、自分の背よりも高い診察台に飛び乗ろうとしていました。

推定3才。我が家に来て初めての秋。
大きな公園で、はしゃいでいました。

そんなぶうたは、散歩がうまくできませんでした。そこで、自治体主催のしつけ方教室に参加した時、ハードルを実に楽しそうにピョンピョン跳んで、先生から、「才能あるね~早く始めるといいよ。」とおだてられました。
しかし、近くに他の犬がいると、びびって、集中できないことが判明しました。だれもいないドッグランで、おやつで誘導してドッグウォークを歩かせていたら、おやつがなくなると、自らドッグウォークをスタスタ歩いて戻っていました。地元のドッグスポーツに参加することも考えたのですが、他の犬がいるとできないし、私の仕事と予定が合わず、結局、参加することはありませんでした。
そうこうするうちに、ぶうたが、僧房弁閉鎖不全症になり、運動制限が必要になりました。既に腎不全も発症していたので、ぶうたの楽しみは、何だろうと考えました。
腎不全は2年目でしたが、まだ食慾もあり食いしん坊は健在でしたので、ドッグカフェ通いをしていました。そんなとき、たまたま、カフェで出会ったお友達が、ノーズワークをやっていることを知りました。

推定5才。おもちゃ大好き。

会場の県立動物愛護センターに行って見ると、6頭ぐらい犬が集まっていました。ぶうたは嫌がって車に戻るというので、抱っこして入館。順番に1頭ずつノーズワークをする間も、震えて抱っこして見学していました。これは見学だけしかできないかなと思いました。
広い会場でしたが、ほかの犬が周りで見守る中、いよいよ、ぶうたも中央に出てやってみることに。最初は簡単に見つかるようにしてもらうと、やり方を会得したらしく、次々と箱を嗅いで、動き回りました。箱の中のおやつを見つけても、席にもどろうとしません。順番を待っているときも、中央に出ていこうとするほどでした。苦手な犬をものともせずに、これほど集中してできるなんて、これは、ぶうたの天職では!と思うほどでした。ぶうたは、おやつを探すためなら箱の中に入るのも平気、箱を押して、箱が倒れたり、崩れても平気。なんと物おじしない性格なのだと、10年目にして気が付きました。

推定9才。公園でシート広げて転がるのが大好きでした。

何回か通うと、次第に難易度がアップして、箱の中だけでなく、パイプ椅子の脚の上や、衝立の後ろ、テーブル下の棚といった、飼い主も気が付かない場所にも、おやつがあるようになりました。ぶうたは、あきらめることなく、何周も探し回りました。それでも、くじけそうになると、私やトレーナーさんの方を困った顔で見つめました。それが、私はうれしくて。見つけたときに、大きな声でほめることも、たまらない喜びでした。会場の他の飼い主さんも、じっと見守っていてくれて、見つかったときは、「すごいね~!」と一緒に喜んでくれました。ぶうたは、得意だったに違いありません。
毎回、参加する犬はさまざまでしたが、いつもぶうたは最年長。いつの間にか、そういう年齢になったことに、少しショックでしたが、ノーズワークは心臓の負担にもならず、シニア犬でも、若い元気なこと同じようにできました。単調だったぶうたの毎日に、新しい生きがいができました。8月から通い始めて、翌年の3月まで欠かさず通いました。

しかし、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い緊急事態宣言が全国に発令されて、動物愛護センターも休館になり、ノーズワーク教室もお休みになりました。再開されたのは、翌年の7月でした。そのとき、ぶうたは、腎不全の末期になっていました。7月の上旬に、フードを食べなくなり、食べられるもの探しに必死になる日々が続きました。中旬には補液が始まりました。
再開した初日、ぶうたは、今までと変わらぬ動きでノーズワークをやりました。これが最後になるかもしれないと思って、たくさん写真を撮りました。家では食べなくなっていたおやつも、箱から探し出して食べていました。それほど楽しい場所になっていたのです。
その2週間後、もう1回参加しました。疲れさせてはいけない状態だったので、やめた方がよかったのかもしれません。最初は、ふらふらした足取りのぶうたが、2回、3回目は、病とは思えない足取りで喜々として動いていました。それがぶうたの最後のノーズワークになりました。

推定13才。7月。なくなる5カ月前のノーズワーク。
ご飯を食べられず苦労していたときですが、夢中になってやりました。

12月の初旬、推定13才で、ぶうたは腎不全と僧房弁閉鎖不全症で旅立ちました。我が家に来て10年でした。
今でも、ぶうたになにをしてあげられたのか、これでよかったのかと心が揺れます。ぶうたの晩年に、ノーズワークに出会えたことには、感謝しかありません。ぶうたとの出会いから、たくさんの人との素晴らしい出会いがあった10年でした。