シニアペットと暮らして

なな、ありがとう

なな・11歳
公募

著者/久野嘉余子

折しもななの命日に見つけたこのエッセイ募集。ようやくペットロスから抜け出せたと思える3年目の今、気持ちの整理ができれば、と思い綴っています。
「脊髄腫瘍の疑い。余命は3ヶ月。脊髄はリスクが高いので摘出は不可能で、延命のためにできることは、麻痺が始まっているこの足の切断か放射線治療です。」10才を目前にした3月、左前足を挙上して歩くようになり、診察を受けた時の苛酷な診断。その後何ヵ所か診てもらいましたが、どこも同じ。「とうとうこの日が来てしまった。」
実はこの3年ほど前、ななと同郷のNちゃんに出会いました。元気な様子なのに「脊髄に腫瘍ができ7件の病院に余命3ヶ月と診断され、一時は全く立てなくなり、8件目の病院で摘出に成功し今に至っている」と聞き大変驚きました。さらに「残念だけど他にも発症した子がいるから今後気をつけてみてあげてね。」と。当時はまさかと思いましたが「いつかなながなってしまったら、Nちゃんが助かった病院紹介してくださいね。」と別れました。Nちゃんとの出会いが、早期発見に繋がりました。

7才4ヶ月 偶然出会えた同郷のN(ニコ)ちゃんと。向かって左ニコちゃん、右なな。

N家とすぐに連絡を取り病院を紹介してもらい診察を受けに上京。診断は「MRIの画像の影から何かはあるが、今の症状は脊髄腫瘍とは違い脱臼。」と。「確かに影は気になる。全身麻酔をするので、万が一のため脊髄に腫瘍があるのかの確認(あれば摘出)と脱臼の手術をしてみよう」と提案されお願いしました。結果、脊髄に腫瘍が圧迫している事実はなく、やはり脱臼による挙上。何らかの影は見過ごせないので、定期的な検査で様子を見ることに。脱臼手術後は、普通に歩けるように回復しました。

10才3ヶ月 脱臼手術の4か月後、走れるまでに回復しドッグランにて。向かって左メル、右なな。

7ヶ月ほど過ぎた頃、急激に左前足の動きが鈍くなり日を追うごとに動かなくなってきました。最初の挙上とは違い引きずるよう。摘出手術をする時期と提案されましたが若干の躊躇。半年前に手術をしたばかり。「でも何もしなければこの先余命3ヶ月かもしれない」と迷い悩んだ末、決断しました。

10才8ヶ月 腫瘍摘出手術3日後、傷跡は痛々しいが立ち上がるまで回復。

「取り切れるものはすべて取り切った」という力強い先生の言葉。やはり脊髄に腫瘍はありました。病理検査は良性で一安心でしたが、再発は必ずするそう。進行は止められたようですが左前足は動かないまま。リハビリをしながら経過観察。が、術後5ヶ月を過ぎた頃から、首を動かすと痛むようになり、さらに1か月後には残り3本の足も麻痺の影響かだんだん力が入らなくなり、最期の1ヶ月は補助なしでは何もできず24時間目が離せなくなりました。

11才4ヶ月 亡くなる10日前、立てないけど、毎日カートで外へ。

そして8月24日突然呼吸が停止し11才4ヶ月で亡くなりました。
肉眼では見えない腫瘍が残っていたのか、再発したのか、転移したのか。解剖していないので真実はわかりませんが、考えられる死因について「脊髄の中で何らかの変性が起こり進行性脊髄軟化症を併発し呼吸が停止したと思われます。」と後日説明を受けました。結局、脊髄腫瘍は現代の獣医学では解明されていないことが多く、付随して起こりうる事態まで想定できないため、最悪なら余命3ヶ月という診断を下す、と今なら理解できます。
あの日あの時、どの選択をすれば一番良かったのか、ずっとこの思いで苦しみました。そんな私が今日まで過ごしてこれたのは、もう1頭のめるのおかげです。生きてるめるの日常を止めてはいけない。その思いで毎日を乗り切っていました。でもその間、当たり前ですがめるの年齢は進み、意識しないままシニア入りし、まもなく10才。
この先めるも病気と向き合う時が必ず来るでしょう。

9才6ヶ月 左前足挙上する5ヶ月前、まだ思いっきり走ることができた頃、飛行犬の撮影。

もしななと同じ病気になったとしたら、たぶん違う決断になると思います。2頭の性格は全く異なり、それぞれにあった対処があり、それがわかるのは飼い主だけだと思うから。飼い主がペットを思い決断したことは、たとえ結果が思わしくなかったとしても、その決断したことを一緒に乗り越えようとさえすれば、ペットは絶対恨まないと思います。飼い主が楽しめばペットも楽しく、飼い主ががんばればペットもがんばれる。言葉は話せないけど、飼い主の思いはきっとわかってくれていると信じたい。遊んだりお出かけしたり、ただ寄り添っていたり、そんな何気ない時間が飼い主とペットには一番大切なのではないでしょうか。その積み重ねで強い絆が生まれ、どんな病気になっても互いを信頼して乗り越えられるのでは、と思います。
ななとの闘病生活もきっとそうだったと信じて前を向いていこうと思います。病気の記憶が新しくて、ななの辛い顔や痛々しい歩き方を思い出してばかりでしたが、それ以上に楽しい日々はいっぱいでした。近くの公園や遊歩道への日常の散歩。海、山、川など数えきれないほどのお出かけ。北は東北から南は九州まで、旅行もたくさん行きました。四季折々一緒に楽しみました。ななと過ごした時間は、私の中でいつまでも褪せることはないでしょう。溢れるほどの想い出を残してくれたなな、本当にありがとう。