シニアペットと暮らして

猫と「良い言葉」の効能と

ちゅー太郎・推定8歳
公募

著者/おくだりえ

水に良い言葉をかけると美しい結晶ができ、悪い言葉をかけると無残に変形した結晶となる。そんな話を聞いたことがある。長いこと忘れていたけれど、保護猫のちゅー太郎をわが家に迎えてから1年経ったある日、この話を思い出すことになる。

ちゅー太郎は2012年生まれのオス猫。公園に母猫、兄弟猫と一緒に暮らしていたところを保護されたそうだ。推定2歳半の頃、猫の保護活動をしている喫茶店の方からわが家へとご縁をいただいた。

猫を飼うのは初めての経験。分からないことだらけの不安な日々。ちゅー太郎もそんな私の気持ちが分かるのか、なかなか心を開かない。台所の棚の後ろに隠れシャーシャーと威嚇の日々が続いた。少し慣れてきてからも私の触り方が気に入らないのか猫パンチが飛んでくる。私の手は傷だらけ。「リストカット」の跡だと思われるのか、ちゅー太郎のことを知らない人たちはみな「猫を飼っている」という話をすると「なんだ、そうか~」とホッと安心したような反応をしたものだ。

わが家に来て10日目。「なんだよ、お前なんてまだまだ信用してないんだからな」って言いたげ。

そんな風に暮らして1年半くらい経った頃、健康診断のため、初めてちゅー太郎を動物病院へ連れて行った。健康だと信じて疑うことをしなかった私に獣医師が「腎臓の数値が悪いですね」という診断結果を伝えてきた。腎臓を悪くする猫も多いということを知らなかった私は目の前が真っ暗になって絶望の淵に立たされた。大げさな反応かもしれないけれど、あの頃の私は猫の病気に関して無知であったし、ちゅー太郎との生活を長く続けたいと必死だった。もっと早く病院に連れてくれば良かったのか…自分を責めた。

腎臓の薬を処方してもらったけれど、獣医師からは「数値が良くなるということはない。あとはどれだけ悪化を抑えられるか」だと聞いた。ちゅー太郎が病気だなんて…そんなの嫌だ!そのときふと「水の結晶」の話を思い出した。

「水と動物」「結晶と細胞」という違いはあるけれど、ちゅー太郎に良い言葉をずっとかけ続けたら、細胞がきれいになって病気だって良くなるのではないか?何の根拠もないけれど、やれることは何でも試してみようと思った。

6歳頃。お気に入りのソファでグッスリ。

あの日から4年間、ちゅー太郎を撫でるたびに思いつく限りの「良い言葉」をかけ続けた。だって、ずっとそばにいてほしいから。「大好きだよ~」から始まり「かわいい」「いい子」「賢い」「優しい」「頼もしい」「毛並みトヤトヤ」「スタイル抜群」・・・以下延々と続く。最近では良い言葉のボキャブラリーもかなり増えてきた。

現在、ちゅー太郎の腎臓の数値は初めての検査時と変わらず安定している。「良い言葉」がちゅー太郎の細胞にプラスの影響を与えたかどうかは、もちろん分からないけれど。

実はこの話にはオマケがついている。良い言葉は私にも変化をもたらした。今までどう頑張っても消えなかった私の「生きづらさ」が嘘みたいに消えたのだ。生きることは辛いことだと思っていたのに、今では「生きてて良かった」「ちゅー太郎と一緒に明日も生きよう」そう思える自分になっていたから不思議だ。良い言葉は人間の細胞をもキレイにしてくれるらしい(もちろん根拠はない)。信じるか信じないかは読んで下さっているあなたにお任せする。

「猫は良いよ。癒されるからね」今まで何度も聞いてきた言葉だけれど、まさかこれほどとは想像もしていなかった。ちゅー太郎が幸せに生きるために私にできることは何か。今はそれを考えることが私の楽しみのひとつだ。生きがいといっても言い過ぎではない。こんなに前を向いて生きられる日が来るなんて今でも信じられない。

最近気づけばすっかり甘えん坊に。

ちゅー太郎は現在推定8歳。これから高齢期へと向かっていく。人間同様、身体もだんだん衰えていくだろう。もしかしたらこれから違う病を持つことだって十分にありうる話だ。たとえそうなったとしても、ちゅー太郎自身が幸せだと感じて生きてくれること。それが私の1番の、そしてたった1つの願いだ。それだけはこれからも変わることはない。