シニアペットと暮らして

第二章

キリちゃん・7歳
公募
BOOK掲載

著者/小南 泰葉

朝5時半。猫が「えっえっ」とえずく音が、私のアラーム音だ。
愛猫キリと息を合わし、枕元に置いたペットシーツで胃液をキャッチする。餌をやり、お便りが届いていないかトイレのチェック。ご飯を食べ身支度をし、キリの目やにを拭き膝に乗せて8時半に点滴をする。これが私のルーティーンワーク。

キリをお迎えした時の写真です。キリ2歳。

昨年の夏、キリは血便が出た。食欲が激減し、骨と皮になった。地元の病院で検査を受けるも、原因不明。遠い大学病院まで連れて行き、1日かけて精密検査をした結果、肝アミロイドーシスという難病指定の奇病であることが判明。この病気の余命は、長くて1年。キリの場合3ヶ月か明日か。出来ることは、何も、ない。
「残り、いい日々を過ごしてあげてください」
帰りの車内、先生の一言が脳内に生まれては消える。死ぬの?人生で初めて受けた余命宣告。信じられなかった。キリはまだ、6歳。
キリを迎えたのは4年前。彼が2歳の時。保護猫カフェのスリゴロ隊長だった。家にやって来た日のことを今でも覚えている。キャリーバックからそろりと出たキリは、目をまん丸にして台所のシンク下に逃げ込んだ。半日立て籠もり、お腹を空かせてやっと出てきた。
あれ?人見知りさんなのかな?と思ったのも束の間、慣れるとスリゴロ隊長に戻った。むしろ甘えたが過ぎて、カンガルーの親子のように基本私の服の中に居る。人生30年間貧乳だったが、キリが来てから私は常に爆乳だ。タイトな服はタンスの奥にしまい、キリが心地よく入れるオーバーサイズの服ばかり着るようになった。
私は東京で音楽の仕事をしていた。いつもキリを胸に入れ曲を作った。一緒に作曲し、歌い、産み落とした曲を初めに聞いてくれる、勝手にファン第一号。一心同体。キリの曲もある。猫好きを知るファンの方から頂く私の誕生日プレゼントは、毎年キリ宛てのものばかり。ちゅーる、猫髭入れ、窓に吊すキラキラ、おもちゃ、ありとあらゆる猫柄グッズ。誰の誕生日だ?

肝アミロイドーシスを発症した去年の夏です。

ツアーで家を空けることが多かった為、毎回ペットシッターさんに頼んでいた。帰宅すると、まずハゲを探す。私がいないと、舐め禿げてしまう。鋭利な舌でまず肌をつるつるにし、次に血が出るまで傷付けてしまう。布団へのスプレーも多く、随分さみしい思いをさせてしまったことを後悔している。まだまだ生きると、なぜ自分勝手に思っていたのだろう。
少し前に音楽の仕事を辞め、東京の家を引き払い、兵庫県にある実家に帰ってきた。縁側があり、日向ぼっこもできる古民家だ。もう、東京の暮らしみたいにさみしい思いをさせることはない。隣人に気を遣うこともなく夜の運動会も出来る。どれだけ鳴いても、どれだけ暴れてもいいぞ。春は座椅子を置いて縁側で読書をし、夏は一緒に涼み、秋は奇麗な月を眺め、冬は庭に植えたもみの木の成長を一緒に見よう。キリ、まだまだ一緒にやりたいこと、いっぱいあるよ。一人呑気に描いていた田舎暮らしは、たった3ヶ月で終わった。
発症してからつけている闘猫記。強制給餌で摂取できたカロリー、糞尿観察、動けぬキリの一挙手一投足、キリが今生きている証は全て書き殴った。1冊目は毎日泣いてばかりいたのでぶやぶやにふやけている。
強制給餌は辛い。ご飯を食べなくなるのは、猫が死に向かって痛みを和らげるために体重を落とし、準備しているということ。それを邪魔するのが強制給餌。キリを抱き上げると綿のように軽い。彼に確認することなく延命を選んだ私は、嫌がり涙を流すキリを羽交い締めにしてタオルで包み、シリンダーで餌を流し込んだ。うまくいかない。行く筈がない。キリに食べる気がないからだ。私もキリも布団も畳も餌まみれ。涙でキリが見えない。何が正解で何が間違いか、分からない。ご飯は、1日に3回やってくる地獄の時間になった。

最近のキリです。この縁側に座り、キリと日向ぼっこをして庭を眺めるのが至福の時間です。

病気に効くと噂されるものは、片っ端から全部取り寄せた。飼い主に“迷い”があってはいけない。諦めない。病が治る水も、気功も、高額で奇妙な栄養剤も、ネットのレビューは私にとって希望の光で輝いている。
闘病半年が過ぎた頃、キリがふくふくと肥えてきた。自分で餌が食べれるようになったのだ。遂に1月、キリを迎えた日に設定した誕生日が来た。7歳、晴れてシニア猫の仲間入り。八百万の神、ご先祖様、亡くなった知人、霊能者、思い付くもの全てにすがり、額をこすりつけていた毎日が功を奏したのか。
そして発病して1年。夏が来た。やはりあらゆる病気が手を繋ぎ、併発し畳み掛けてくる。病の百貨店だ。しかしキリの生命力はまだまだ無限大。闘猫記は3冊目に突入。最初は自分の手に刺していた点滴も、上手くなった。
猫の1日は、人間の1週間。キリにとって残された時間は、短くて長い。人生の第二章は、今始まったばかり。首を捻りながら先生は「おかしい。こんな猫ちゃんは初めてです」と言う。奇跡の猫は、今夜も走り回っている。