シニアペットと暮らして

「えぇの拾ってきたかい、ちょっと きてみらんね」

みーこちゃん・21歳
公募

著者/唯

「えぇの拾ってきたかい、ちょっときてみらんね」
それは、門川町に住むじいちゃんからの電話だった。
当時、私は6歳。弟は4歳。
母は、私たちを連れて、車で30分かけて祖父母の家に連れていってくれた。
「よぉ、来た。こっちにきてみ」
じいちゃんは、私たちを部屋の奥に連れて行ってくれた。
〝みゃー〟

じいちゃんが みーこを拾ってきた日の写真。

そこにいたのは、小さな小さな子猫。捨て猫がたくさんいる釣り場で釣りをしていたじいちゃんによちよちとえさを求めた子猫だった。
みゃー、みゃー、と鳴くので、名前はじいちゃんが勝手に『みー』と呼び出し、『みーこ』と呼ばれるようになった。
「この猫は賢いわぁ、必ずここで爪とぎをする」
元大工のじいちゃんは、みーこ専用の爪とぎを作った。みーこはそれに応えるように、その日から毎日その場所で爪とぎをするようになった。
じいちゃんは、親戚、近所の人、色んな人にみーこの自慢をした。
「何よりこのしっぽがいいわぁ、短くて邪魔になったことが一度もない、お互いに」
そういって、いつも皆を笑わせた。
みーこと同じように、私たちも成長した。
小学生、中学生、高校生。部活動がどんどん忙しくなり、少しずつ祖父母の家に行くのも少なくなった。
それでも、じいちゃんとばあちゃんの家に行けばみーこに会える。と、みーこに会えることが祖父母の家に行く楽しみでもあったので、時間があれば遊びに行っていた。
そして、私たちは大人になった。
社会人になると、ほとんど祖父母の家に行くことがなくなった。みーこ元気かな。そんなことを考える余裕もないくらいに、仕事で忙しい日々だった。
ある日の夜、母から電話がかかってきた。

『じいちゃんが倒れた』
え、と思考が止まった。出張で福岡に泊まっているときだった。出張が終わって、私はすぐじいちゃんのもとに行った。
「久しぶりじゃね、元気じゃった?」
じいちゃんは布団に寝ながら私に声をかけた。
起きたらめまいがするからずっと寝ているんだと教えてくれた。
みーこも心配そうにじいちゃんの周りをウロウロしていた。
何故、私はもっとじいちゃんに顔を見せに来れなかったのか、そのときになって後悔した。その日から、仕事が残業にならない日は、できるだけじいちゃんに会いに行った。
少しずつ、少しずつ、私の顔や名前をじいちゃんは忘れていった。そして、どんどん目を開かなくなり、ずっと眠り続け、もうだめなのかな、そう思っていた。
「唯!じいちゃん、やっと目が開いたよ!」
母からの電話だった。私はすぐに車で祖父母の家に向かった。
「じいちゃん!私だよ!唯だよ!分かる?」
私がそう言うとじいちゃんは目に涙を浮かべてうんうんと頷いた。もう声も出ない様子だった。
「じいちゃん、意識が戻ったときにみーこを見て泣いたとよ」
ばあちゃんがそう教えてくれて、私も泣いた。

平成30年1月10日
じいちゃんは、天国に旅立った。86歳だった。
病院に入院してから一度も家に帰れないまま、みーこにも顔を合わせることなく旅立った。
「みーこが死んだらどうするけ」
そこまで考えていた元気なじいちゃんがまさかみーこよりも先に逝くなんて誰も考えていなかった。
《みーこ!みーこ!》
ばあちゃんの家に行くと、今でもじいちゃんの声が聞こえてくるような気がする。
〝みゃー!みゃー!〟
気のせいなのか、じいちゃんが亡くなってから、みーこの鳴き声が一段と大きくなったように感じる。

じいちゃんが天国に旅立ってから
貫禄が出てきたように感じます。

じいちゃん、どこにいるの?と言っているのだろうか、それとも猫の勘でもうこの世にいないことが分かっているのだろうか。それは分からない。
「みーこに魚焼いてやって」
ばあちゃんが母にそういうと、母が冷蔵庫からアジのひらきを出して焼く。トレーに入ったそれは、人間が食べるアジのひらきと一緒で、間違えないようにきちんとマジックペンで「猫用」と書かれている。
人間と同じものを食べれてみーこ幸せだなぁ。
そういえば幼い頃から私はずっとそう思っていた。
じいちゃんに拾われて、この家で守られて、子どものように愛された猫。
現在、みーこは独り身になったばあちゃんと一緒に暮らしている。
今年私は27歳。みーこは推定21歳。弟は25歳。歳が離れて産まれた妹は、今年18歳。
高校3年生の妹よりも長く生きてるみーこ。きっと、私たちが知らない様々なことを知っている。
私たちは、これから1日でも長く一緒に生きていきたい。天国のじいちゃんに見守られながら。

最近は靴箱の中がお気に入り。